
震災以来 なかなか連絡できずにいたが
その夜 勇気を振り絞って伯父に電話をかけた
昼間に眼科医から言われた話を伝え
緑内障の治療が必要なのかどうかを再度確認した
すると 予想だにしない言葉が返ってきた
「必要に決まっている」 と
「視界欠損があると診断されたあの時
治療はしなくていいと言ったはずだ」
と訴えたが
伯父は緑内障以外の病気の治療の「必要がない」
と言っただけだ というのだ
お互いの理解の 決定的な食い違いだった
元々 伯父は厳格で言葉が少ない
他界した母の自慢の兄で 母とは仲が良かった
しかし 私にとっては上手く話せる相手ではなかった
それが 決定的な「誤解」を生んでいたのだ
私は「緑内障」の話をしていて
伯父は「別の病」の話をしていた
母が生きていれば
こんなことは絶対に起きなかったのに
悔しくてならないが どうすることもできない
伯父と共に精密検査の診断を確認してから2年
初めて緑内障の疑いを指摘されてから3年
私の緑内障の治療は 放置されてしまった
優しい言葉が欲しかったわけではなかった
ただ 治療しなかったことに 何か救いが欲しかった
けれど 伯父は気の利いたことを言える人ではない
淡々と事実を告げられ 治療を勧められただけだった
分かってはいた
分かってはいたが
自分が我慢して全てを飲み込むしかない現実が
無性に悔しくて仕方がなかった
電話を切ったあと
言いしれぬ様々な思いが一気に押し寄せてきた
どうしてあの時もっときちんと聞けなかったのか
どうしてあの時もっと…
信じていたのに裏切られたような気分だった
けれど
周りからは私の勘違いだと言われた
私のほうに落ち度があったのだと
私より権威のある人が正当化され
権威のない私が不要に責められる
身内のことだからこそ もう何も言えなくなる
そして 身内に相談できる人は誰もいなくなった
そうは言っても
納得できなくても 自分のために
自分の家族のために動かないといけない
受診をすることが最優先だ
一分たりとも無駄にはできない
早速予約を取って
改めて精密検査に向かった
前回の精密検査から3年
放置したことの無謀さから
受診しなかった理由を激しく問われる
私が悪いわけではないのに
そこでも治療を怠った張本人のように扱われた
しかし 以前の病院と違ったのは
医師が親身になって診てくれたということ
若いから進行が早い
若いから見えなくなっては大変だと
そして
一から検査を行い 視野検査も行った
前回も受けた視野検査の結果
見えないところが黒く塗りつぶされる
以前にも増して 左目の画面は真っ黒だった
残り45度もないかも…
そして 右目にも黒い影の範囲が広がっている
明らかに進行している事実を突きつけられた
そのほかの検査結果
今後の治療方針や起こりうる可能性の説明を受け
指摘されてから3年経って
やっとキチンと治療を受けることとなった
病名と病状の重さが明らかとなった今
一人で抱えることはもうできなかった
自宅に帰ったあと
主人と子供達に病気のことを告げた
主人は大体の話は知っていたが
子供たちにとっては初めて聞く現実だ
「ママ 何も悪いことしてないのに」
そう言って娘が泣いてしまった
堪えていた全てが
娘の一言で堰を切ったように溢れ出し
声を出して一緒に泣いてしまった
三年でこんなに進んでしまうなんて…
それが恐怖で仕方がなかった
いつまでこの目が見えるのだろう
そう思うと一気に足元がすくむ
「子供達の成長が見れなくなるかもしれない」
それが一番の恐怖だった
悔しくて 悲しくて 涙が止まらなくなった
子供たちを抱きしめながら泣き疲れたころ
私は自分の心にそっと蓋をした
子供の前で泣くのはこれが最後
子供たちをこんなに悲しませてはいけない
だから辛い顔をしてはいけない
もう子供たちに目のことを話してはいけない
しっかりしないと そう心に決めた
しかし その時は気づかなかったが
侵されていたのは「身体的な病」だけではなかった
誰にも頼れなくなり
孤独感や絶望感で心も蝕まれ
視界よりも先に 心が暗闇に包まれて
闇に沈んでしまうまでにそう時間はかからなかった
今になって思う
竹の棒が目に当たったあの事故は
他界した母の必死の「虫の知らせ」だったのでは と
もし あの棒が目に当たっていなかったら
もし 知らずにあのまま時が流れていたなら
未だに治療をしていなかったかもしれない
そして すべての光を失っていたかもしれない
そう思うと
生前母とは上手く付き合えなかったけれど
もう一度会って 心からの感謝を伝えたくなった

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