辛い時は、すべてが無意味に思える|ひとりごと その6

「本当に辛いときは
結局なにも救いにならない」

自信がなくなって
前に進めなくなりそうな時

ふと そんなことを思い出す


世の中の辛い人を救いたい
なんて大きなことを思ってはいないが

私も今 どん底から這い上がってるよ
だから どんなに今辛くてもなんとかなる

そう言いたい

でも

「だから大丈夫」と言ったところで
何が大丈夫なのだろうと思ってしまう


悪いことが次々重なってきて
今日は 私も八方塞がり

だから つい思ってしまう

結局 ホントは
全てが無意味なのかもしれないって


昨日まで自分を支えていた自信が
今日は根拠のない過信に思えてくる



人の不幸なニュースを聞くと

「なんとかしてあげられたら」

って思ってみたりする

けれど 本当に辛い人は
サイトなんて見られないかもしれない

だれかに何かを相談する
そんな気力さえないかもしれない


サイトを見たり
出口を探すことができるのは

どん底から
少し上がろうと思えたときなのだろう

暗闇の底にいる時は

何も響かないし
何も届かない


本当に辛い時は 
虚無感と無力さに気持ちを支配され

広い世界の中にポツンとたたずむ
ちっぽけな自分との対峙となる


人と比較する必要はない

そうわかっていても

他人が必要以上に煌びやかに見えて
それが余計自分の姿を浮き彫りにする

だから 余計気持ちが弱くなる

気にしなくていいと言われても
気になってしまう

それも よく分かる



近年 
環境にうまく順応できなくて
心や体に不調が出る状態に

「適応障害」という名前が
つくことがある

正直に言えば 以前
私はその言葉が苦手だった

本当に悩んでいる人もいる一方で
それを利用する人もいたからだ


私も子供の頃は
集団行動が苦手だったし

意味不明な先生の指導には
なおさら従えなかった

気の強い学年主任の女性教師からは
目の敵にされ 厄介者扱いされた

人と違えば理不尽に怒鳴られ
教師の機嫌と都合で罰まで変わる

そんなことが許されていたのが
良くも悪くも「昭和」と言う時代だった

だから

「適応できない」と言う言葉を聞くと

それなら私だって当てはまるのに
と思ってみたこともあった


今だったら
もっと自由に生きれたかもしれない

と思ったところで 
今には違う種類の試練が多々ある

いろいろなことに
限度なく追われることもある


そんな時によく聞く
「逃げてもいいよ」と言う言葉

自分を追い込みすぎないようにする
大切な考え方なのかもしれないが

目標が曖昧になるのも不安では?
と思ってしまう

そして 目標のみえない
終わりのないゲームが始まる

何を目標に進めばいいのだろうか
どこに辿り着くのが正しいのだろうか


だったら 私は

目の前にみえる
小さな目標とゴールが欲しい

小さくても
そこまでたどり着いた「達成感」と

そこまで辿り着けた
と言う「自信」が欲しい

これは 昭和的な考えなのだろうか



世の中で財を成した成功者の中には

うまくいかない人を
「努力不足」と言う人がいる

足りないところはあるだろうし
全て否定するわけではないが

でも 努力だけでは
どうにもならないこともある


気持ちが強い時には
気にならないで跳ね除けていたことも

体調が悪かったり
気分やタイミングが悪かったりすると

ポキっと折れてしまうこともある


少しずつ積み上げてきたものが

少しずつ形になって 
少しずつ自信になって

いい方向へ進んでいたのに
いい感じに仕上がってきたのに

そんなことさえ

今日は
自分の気持ちに負けてしまった



そういえば ここのところ
ずっと喉が痛かった

昨日も今日も

気づけば
1日ずっと寝ていた

こんなに何時間も眠れるなんて
やっぱり体調が悪いのかもしれない

だったら

今日のこの気持ちの弱さも

もしかしたら
体調の悪さが少し関係しているのかもしれない



久しぶりに来た
この悪いモード

気持ちが折れないモードが欲しい

でも

強く太ければ
折れないとは限らない

細くても
しなやかであればいい


大きな成功は
もちろん期待している

でも結局

自分に動かせるのは
目の前にある一つから

やっぱり
一つずつなのかも


あれこれ考えず

今日はもう
寝ることにしよう

明日には
治ってますように

病気も 

そして この不安も

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