
左目が不自由になってから
好きだったことの多くを手放した
見えないこと
見えにくいこと
そのことで
自信をなくし
興味をなくしたものたち
そのせいで
好奇心旺盛で
外交的で自由奔放の私は
何事にも億劫で
内向的で消極的な私になった
光線過敏症もあって
何かをしようとすると
「みえない」
「太陽に当たれない」
ということが邪魔して
”やりたい”気持ちを削いでいく
小さい子供は好奇心の塊だ
ジッとなんてしてくれない
出不精になった私を
外に外にと誘導しようとする
そんな中 唯一残された
私の得意なこと
「車の運転」
これが私の”命綱”だった
見たいものが見えないという
不自由さはあったけれど
日常生活では
割と困らない程度だった
見えないことが発覚して
初めて迎えた免許更新
測定値がどうなるのかと
不安で仕方なかったが
免許センターの視力検査には
ちゃんと合格でき
そのことにも背中を押され
私は運転を続けた
そして
「見えなくなった」「見えない」
私のストレス解消は
周りから心配されるのだが
「車の運転」での
子供達とのおでかけになった
”運転すること”
が大事なのではなくて
「どこにでも行ける”翼”が
まだついている」
ということが大事
だったのだと思う
何と言っても
車には”屋根”が付いている
太陽に当たれない私にとって
常時日差しを遮ることが重要で
遮光カーテンを引いた部屋で
モグラのような生活だった私にとって
車は無敵のアイテムでもあったのだ
学生の頃から遠出が好きで
フラッとよく車で出かけ
観光地というよりも
駅と駅の間の風景を見たり
その土地特有の
”地のもの”探しをした
だから
そんな私には
やはり車が手放せない
子供が3人もいれば
旅費も車で出かけた方が安く
車の中なら子供達も自由が利く
そして 親のストレスもない
どこに行くにも車で出かけ
帰省のついでにぶらり旅
行ったことがないところに
少しずつ足を延ばしていった
西は岡山、四国
北は山形、北海道 まで
けれど
いくら見えると言ったところで
慣れない感覚に限度はあったので
あくまで1人で運転して
子供達とで行くのは
自分が勝手知っている
テリトリーの範囲内程度
その中でも
幸運にも最近まで
縁あって利用できた保養所が
長野県の安曇野にあった
「子供達の放牧」
といってはよく出かけ
実家と少し距離があった私は
何かといってはそこに通った
子供達だけで
自由に何でもできるので
日頃の外に連れだせないという
罪悪感も全て解消できた
親子ともども羽根を伸ばせる
とっておきの場所だった
だんだん子供が大きくなって
それぞれが時間を使うようになり
その頃には
私も少しずつ仕事を始めていて
気がつかないうちに体力もつき
自信もずいぶん取り戻していった
そして
仕事に忙しくしていた頃
私を一気に復活させたのも
「車の運転」だった
子供達の夏休みのある日
「北海道に行きたい!」
と急に思い立ち
その数日後
男の子2人を乗せて
数年ぶりに北海道に渡った
苫小牧に着いた初日
まずは道東と 釧路に向かい
1週間ほど気の向くまま走り
久しぶりの感情に浸っていた
「北海道に行きたい」
と思えたということは
「自分1人で北海道を走れる」
と思えるほどになった証で
自分の体力と気力の自信の復活が
他人事のように嬉しく
凝り固まっていた自分の中の
「長い冬の雪解け」を感じた
そう
今いるところから動きたい
こんなんじゃない
と体がやっと動き出したのだ
こうして
命綱だった「車の運転」が
私を突き動かす糧となった
