高野山 長男とぶらり旅|陽だまり その9

私は無宗教だと思っている

けれど 
確実に多信教信者だ


山に神様がいて 木にも
川にも海にも神様がいる

八百万(やおよろず)の神
という考え方は好きだ

そして神話も好きで
日本神話もギリシャ神話も読んだ

けれど 仏教徒ではない
と思っている

だがしかし 
都合よく手を合わせることもある


両親は無宗教を名乗っていて

死んだら葬儀はせず
市の共同墓地に

というのが希望だったので

母の願い通り
滞りなく済ませた



ところが あるとき
不思議なことが起きた

妹が友人の付き添いで会った
イタコに

母は今「高野山にいる」

と言われたそうだ


そして

成仏できていないから
戒名を授けてもらうように 

と言われたらしい


あまりそういう世界を
信用するほうではないのだが

思えば
縁がないわけではなかった


母の余命があと3ヶ月と
言われたときのことだ

知人のカウンセラーが
母にとお守りを作ってくれた

それが高野山のお守りだった


奇跡的に治療が効いて
5年間も生きられた間も

母はいつもお守りを持ち歩き

「いつかはお礼に行きたい」

と言っていたのを思い出した


だから 妹に言われた時

あまり驚くこともなく
妙に納得してしまい

高野山で母の戒名を
授けてもらうことを同意した


母は富士山が大好きで

上京する度に
必ず車で富士山に出かけた

だから 

行動派の母がお墓の下で
ジッとしているはずはなく

いつも富士山にいるのだと思い
子供達にもそう伝えていたが

それ以来 
母の放浪先は

富士山と高野山となった


そんなこともあって

「高野山」は
私にとって大事な場所になった



私自身 神社仏閣などには
自分の都合でしか行くことはなく

他界した祖父母のお墓にさえ
なかなか行く機会がなかった


けれど
一昨年の夏 

次男と一緒に旅行ついでに
疎遠だった親戚に会いながら

まず関東から北へ
青森の恐山まで

先祖供養のお墓参りツアーを始めた


おまけに 
目の前の北海道に渡って

一周して帰ったら
夏休みが終わった


そして 
年が明けた去年の年始には

関西と高野山に出かけ

私の中で
「先祖供養ツアー」が完了した



計画的に始めたわけでは
なかったのだが

スピリチュアルな視点では

家系の因縁を浄化するとか
守護する力がつよくなるとか

そんな意味もあるらしい

人生の土台が安定したり
見えない後押しが増える

なんて効果もあるそうだ


そう言われてみると
その頃からだろうか

だんだん光線過敏の反応が
薄れてきて

去年の春には
大学病院の皮膚科の通院をやめた

もちろん
関係があるかどうかはわからないが

もしかして 
先祖供養のおかげかもしれない

なんて今になって思えてきた



そして この夏 

次男は部活に忙しく

ひとりで旅行する気分でも
なかったのだが

みんなより遅れて
まとまった休みが始まった長男が

「受験の前に高野山に行きたい

行ってないから去年ダメだったんだ
だから今年はどうしても行きたい」

なんて言い始めたものだから

いよいよ
「紀伊ツアー」をしたくなった



本来 
計画を事前に立てて

きっちり行動するタイプではない
それでも今回の目標は2つ

1、高野山に長男を連れて行きたい
2、金剛峯寺の襖絵をもう一度見たい

あとは

伊勢神宮や熊野にも
時間があれば行きたいな

というくらいの気持ちで
今年の夏の旅は始まった



「高野山 奥之院」

前回初めて来た時ほど
感極まる感情はなかった

けれど 今回は
成長した長男と一緒

心強いし 

こうして一緒にいられることが
ありがたい

手をあわせると
妙な安心感に包まれる

ここに来ると
相変わらず涙が出てくる

なぜだろう



今だから思う

似過ぎていたから
できてしまった

お互いが幼過ぎたから
生まれてしまった

不要な確執


だからといっても

あの教育ママは
もう勘弁だけれど


友人のお母さんが
職業柄母にそっくりで

会って話を聞くたびに笑ってしまう 
そして ちょっと羨ましい

無いものねだりかもしれない

けれど 
時々会いたくなる



そして
「金剛峯寺の襖絵」

たくさんの襖絵があって

美術館に来たような
充実感がある

その中でも
千住博氏の作品が好きだ


軽井沢の美術館に並ぶ
色彩で圧倒される作品もいいが

黒一色で
圧倒的な発言力を持つ

2種類の襖絵も
いつみても圧巻だ


お寺という場所に
あるからなのだろうか

見ていると
神聖な気持ちになる

自分の邪心を
宥められてるような

荒々しさと静けさの対峙


欲を言えば 
囲炉裏の間の《瀧図》を

中央の死角をなくして
全体を見渡してみてみたい


けれど

実は もしかしたら
見えないほうがいいのかもしれない

見えないことを前提に
全体が作られているのかもしれない

見たいような
見たくないような


などと考えていたら

そばにあった奉納襖絵の説明書きに
その旨が記載されていた


当初の構想では空海に捧げる
「明けの明星」を描く予定だったものの

建物のつくり上 障害物によって
死角が生まれることで断念して

瀧のみの《瀧図》となったそうだ


軽井沢でも瀧図をいくつも見たが

どれも色のついたものが多く
モノトーンのものは多くなかった


そういった意味でも

これだけ大きな面で
ひとつの世界を

黒一色で描いたのなら

ますます障害物なしに
全体を広げて見渡したくなる

そして

隣の茶の間の《断崖図》

悟りを開く前の
若き空海がみたという

荒々しい風景と《瀧図》の
状況と作風を

広げて対比してみてみたい

ここは炊事場に隣接していて

山寺で暮らす人々の生活を
少し垣間見ることができる

木造の古い造りの中に
昔からの知恵が至るところにある

どこか懐かしく

食事の支度の大変さまで
想像できて微笑ましい

お寺という厳格であるはずなのに
親近感のある不思議な空間



高野山は
私にとってどちらかというと

観光というより
お墓参りに近い

長男も私も

妙な達成感と満足感に
満たされて

「もう帰ろっか」

なんて

せっかくここまで
来たにもかかわらず

家に帰る気バリバリになった



まぁ 
家まで550km

一気に帰るのも
もったいないので

今日は名古屋でゆっくりして
明日 長野経由で帰ろう

午前中は木曽路を楽しんで
それから家にかえろうか 

と


この先祖パワーを背負って

長男が合格できますように

そして 

私が 家内みんなが健康で

それぞれが
手堅く邁進できますように

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