第三章 第三話 「視界欠損」「光線過敏症」には不便がいっぱい

私の三大厄介ごと

「視界欠損」「緑内障」
それと「光線過敏症」

「視界欠損」と「緑内障」は
黙っていれば第三者を巻き込むことはない

所詮 自分が人よりも「見えない」だけ
自分が我慢すればいい


「のぞいて見てください」とか
「ここに合わせてください」と言われて

その度 「あっ」と

苦手なことに気づいて

シレッと終わった顔をすればいい

できなかった悶々とした気持ちを抑えて
自分さえ黙っていれば

特段問題も起きずにやり過ごせる



けれど「光線過敏症」は

地味に面倒である

症状が軽いうちは
周りに合わせていた

迷惑をかけないように
失礼にならないように

それがいけなかったのか
ストレスとか体質の変化だろうか

症状はどんどんひどくなっていった


日焼け止めを塗れば何とかなる
と思ったのは初めのうちだけだった

そのうち曇りの日でも外に出ると
まぶたが反応して膨らむようになった

そして露出している手の甲も
皮膚が膨らんでいくような感覚

顔のやわらかいところや首が
赤くなってプツプツしてかゆい


そうなってしまったら
もう太陽を避けるしかない

けれど太陽を避けて生活することは
思ってる以上に大変だった



究極の選択 

自分は「ドラキュラ」である

そう思えば実に単純だった

暗くなってから起きればいいし
夜の生活を中心にして 朝寝ればいい


家にいる時は遮光カーテンをひき
一日中電気をつけて生活している

買い物は夕方からでかけることが多く
それほど不便さはなかった

 
ところが 
子供がいるとそうはいかない
ましてや次男がまだ乳幼児だった

嫌でも外出する機会ができてしまう



そして こどもたちまで「コウモリ」に
してはならないと思って昼間も出かける

行き先は大概コストコやイオンタウン
太陽から遮断された広い空間


まだコロナ禍前でもあって
屋内のプレイランドが一気に増えた頃だ


その中でもいちばんのお気に入りは
「ボーネルンド」の遊び場「キドキド」

割と大人も一緒に遊べるものが多く
少し高めだったが遊園地よりはと

昼間のピークを過ぎた
午後からの入園は人も少なく快適だった

外で一緒に遊べない罪悪感を

消してくれる ありがたい場所だった


長男が産まれた頃から
少しずつ育児に対する意識が変わり

次男の頃は震災のさなかだったが
待機児童の問題はあったけれど

少しずつ育てやすい環境が整い
いろいろな選択肢ができたのは良かった



その一方で 街の風景は
どんどん欧米化していった


喫茶店はカフェになり

席もテラスまで広がるようになった

どんどん外に向けてオープンになり
境界なき「開放的な空間」になったが

どこに座っても陽が当たるので
だんだん入れるお店が減っていった


もともと私も「全面ガラス張り」とか
「全開放」とか「オープンテラス」とか

ボーダレスの空間が好きだったし
外との境界がない場所は更に好きだった

けれど そんなところには
5分といられなくなって

昼間に誰かと会う時は 地下街とか
デパートの中などの安全地帯でとなった

そうして 
すっかりモグラの生活となった



病気が気になる程度になると
人といることが段々面倒になり

いろいろと神経質になってしまい
学校の集まりなども避けたかった


カーテン全開の教室で
帽子にマスクなんて目立ちすぎる

かといって外すと症状も出るし
子供にも迷惑かかるのも嫌だった

結局は天気と体調次第だった


けれど 行かないといけない日は
必ずあって そんな時はフル装備

服装は大体 長袖長ズボン
帽子 手袋 マスクにサングラス

つばの大きい日焼け防止用の帽子は
大概「黒」が多かったし

上着も白いと反射するからと
また「黒」とか

結局 全身黒ずくめの私は
すっかり子供達から「魔女みたい」と


年々その生活に慣れると
段々それが当たり前になって順応する

初めの頃は控えめにしていたものの
次男の頃は事前に先生に伝えて

完全防備の「魔女」のまま
教室に平気で座れるようになった

長年の慣れは

良くも悪くもどんどん人を図太くした

一方で それが私のストレスを
減らしてくれたはずだ



私の場合 緑内障にも
強い太陽光線は良くないそうだ

「真夏の海と雪山はぜったいダメ」
と眼科の先生に口酸っぱく言われた


年末年始にはスキー場へ
というのが毎年の恒例だったのだが

目の進行と光線過敏を危惧して以来
スキー場に行くのも

ましてや雪が庭にある年に
実家へ帰るのさえ嫌になってしまった

実家との確執もあり 雪もあり
行かない理由が増えたことで

結果的には自分にとって無理がなく
ストレスも少なく済んだ


病気によって出来ないことが
確かに増えていったけれど

結局は自分の都合の良い方向へ
自然にプラスに転がっていたようだ

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