
今では3人の子供の母親だが
実のところ 大の子供嫌いだった
自分が結婚すると思っていなかったし
子供を産むなんてもってのほかだった
子供を見て
「かわいい」なんて思わないし
知人の子供を見て
「かわいい」というのも苦手である
軽々しく浮いたことを言うのが苦手で
根本的に営業向きではない
むやみに言うと
言葉の価値が下がるというか
真意が薄れる気がしてしまう
だから褒めて育てるのも苦手だし
やはり子育て向きでもないと思う
一人で「もの」に向き合っている方が
性に合っているのだと思う
では なぜ子供がいるかというと
1番の理由は母との確執だと思う
母が癌であるとわかった時に
3人も娘がいるのに孫がいない
孫を見ないで死ぬのかと思ったら
可哀想で仕方がなかった
30歳を過ぎても
まだ自分の作品を世に産み出せてない
だったら「子供」でも産んでみようか
なんて思ってしまったのだ
一人産んだら 一人では可哀想かも
どうせ介護中だし働けないしと二人目
ところが 女一人男一人の兄弟
といっても「一人っ子」が二人いると同じ
全然「兄弟」という感じもないし
それぞれ自分勝手
二人とも待機児童で預けられず
だったら3人いたほうが「社会」になるから
と 気がつくと3人になっていた
子供がキライなはずなのに…
あれほど嫌いだった子供も
自分の子供は勝手がちがった
かわいいからという意識の前に
自分の大事な「付属品」のような…
野良猫はダニが多そうで触りたくないけど
自分の猫はちゃんと手入れしているから
という自分の管理下にあるものに対する
信頼の心理である愛着
それから自分につながっている
身内びいきがそうさせたのであろう
母の闘病中は姪や甥も同時に見ていたので
そう狭い人間なわけではないと思うが
だがしかし 私は相当な
潔癖症と神経質と完璧主義者で
本当に子育ては向いていない
といつも思っていた
自分の思うようにはならないし
仕事を増やされる一方
長女は奔放で大変だったが
長男は優等生で手がかからなかった
けれど 見えなくなってからできた
次男はいろんな意味で最強だった
上の子達は涎掛けを使わなかったし
長男はいたって綺麗好きで潔癖
それに比べて次男は
常時鼻とよだれが垂れていて予測不能
見るからに私には
「アンタッチャブル」な子供だった
二歳児がチェーンを外して
おむつ一枚でどこか外に行くとか
子供が一人しかいないうちは
なんとなく全てを見てしまう
そして なんとなく全部見られるから
全部が気になって言いたくなる
するとその結果 管理してしまう
けれど二人になると
見られるのはせいぜい半分程度ずつ
やっと肩の力が抜けたくらいに
母が亡くなり 少し息がつけた
それがストレスの原因だった?
かもしれないがそれだけではないはず
次男は私が落ち込んでいた中
東日本大震災の1ヶ月前に生まれた
いつも振り回されていたからこそ
考えて落ち込む時間も無くしてくれた
子供ができて社会と離れたことで
合わない選択だったかもと思ったが
結果的には孤独に病と戦う中で
私の唯一の光たちだった
自分の気持ちを考えることは
今まで意識はしていなかったが
どうしようもないほど
かわいくて仕方なかったはずだ
未だに人の子は苦手だが
孫ができたら可愛がるのだと思う
次男のおかげで
潔癖症と神経質と完璧主義は半減した
「コントロールできない」という究極
を強制的に学ぶ絶好の経験となり
ずっと一人で肩肘を張って
まとっていた鎧が少しずつ剥がれ
心理的ストレスが少しずつ減っていく
そして
今日も子供たちに背中を押されて
私の陽だまりに向かって一歩歩む
それが全ての糧になっている
